知り合いに紹介してもらったので読んでいる。
仕事にも多少関係している。借りたものなので早く読まないと。
日本の精神医療のオールスターが集結!という帯の通りらしく
みなさん有名な方らしい。
齊藤環先生に関しては著書を何冊か読んだことがある。
その斉藤先生の第3章まで読んだところだ。
統合失調症患者のオープン•ダイアローグについて。
オープン•ダイアローグとは「開かれた対話」という意味。 「対話」とは、診察室で医師と患者が行う「会話」とは異なり、患者とその家族や友人、精神科医だけでなく臨床心理士や看護師といった人間が集まって、チームで繰り返し「対話」を重ねていく治療の方法。
妄想などがあると、皆が駆けつけて対話をする。
ずっとオープン•ダイアローグには興味があったけれど実際、本で読むと色々思い浮かんでは思いが消える。
誰かが困っている時に駆けつけられるのかとか、
祖父と母のことや子育てのこと。
もう100歳の祖父は、いよいよ身体が動かなくなっている。
介護を文句をいいながらもする母。
私も先日祖父に会いに行った。
祖父は、認知症ではないのだけれど
ほぼ寝ていて、記憶の波を漂っているように、昔の話をしたりしていた。
暮らした家で最後まで過ごし静かに死を待つ。
母と祖父をみているとこれが人生なのかなと思ったりもする。「これ」ってなんだって言われたら、うまく説明できない。
でも祖父が最後まで尊厳をもって生きるには母や社会資源が必要で、でも、母のような女性ばかりが家族のケアを強制されるのは問題があるし、かといって、誰かの、何かの存在を受け止めるということは、人間の営みとして尊いとも思う。
長男を生んで子育てしていた時に
子がわれか われが子なのかわからぬまで
子を抱き湯に入り 子を抱き眠る
河野裕子
この短歌をみて、あ~そうだよな
赤ちゃんってそうだよな。
子育てってそうだよなと思ったことも思い出した。
赤ちゃんを育てているとき自分自身が自分ではなくなっていたと思う。ほぼ大半の意識を赤ちゃんにもっていかれる。十分大きくなるまでも手がかかる。そうしないと、大人になれない。子どもなんてほっとけば簡単に死んでしまう。
私たちはいつでも元気ではない。
いつでも自分だけで何もかも決められない
自分だけで生きてはいけない。
誰かに存在をゆだねないと生きていけない時が必ずある。
こども、老い、病、障がい
色んな所に身体と心を縛り付けて
地上にいないといけない。
個人が個人として尊重し合いながら適度な距離をもち暮らすことがベストだと思っていたけど、ものすごくそれは難しいんだろうなと今更気づいた感じだ。でも努力はしないとな。
近しい人と、対話、私はできてるのだろうか。
自信がないな
言葉にできない感覚だけがあって
今それを撫でまわすように文字をうっている。
落ちもないし言いたいことなどないのだけれど
こういう感覚をどこかで吐き出していると、
後でなんか作ってるときにピンときたりするから、もやもやを吐き出す。
文フリなんもしてない。
もうなんか全然違うふわっとしたZINEとか作ろうかな。
このもやもやをしばらく頭と心でかみしめながら過ごします…