記憶の中の母はいつも疲れていた。
疲れているといっても
げっそりしていたわけでも、不機嫌な感じでもなく
いつも横になって寝ていた。
おなかがすいたと母の身体を揺らすと
「あそこにパンやいてる」とか
「冷蔵庫のちくわ食べてていいよ」とか
「みかん食べときなさい…夕ご飯までもつやろ…」
といって寝直したり
「ちょっとまって今なんか作る…」とむくりと起きていた。
自分が家族の健康を維持する責任者であることを
母は受け入れていたけれど
それでも「ここはレストランじゃないんだから食事の用意をしな!
お箸並べたりごはんよそったりしなさい!」
とは怒っていた。
親になり、そういう母のことを想う時間が増えた。
最近、疲れている。まったく起きられない。
こどもの咳や、おねしょでまだ夜中に何度か起きるのだけど
こどもが乳児の時のようにはたくさん起きないし
疲れもその時とは質が違う。
でも疲れている。
でも、この誰かのケアを常にしているということに
もうかなり慣れてきている。
上の子が小さいときはまだ受け入れきれてなかったと思う。
育児をして、祖父の介護をしている母をみたりしていると
まぁ、動けるうちは、誰かの食事を作ることを
頑張ってみてもいいなと思う。
『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』を読んだ。
エヴァ・フェダー・キテイの著書。
私には専門的すぎた。ロールズの正義論を下敷きにして批判しているそうなんだけど、私はロールズも他の哲学書も読んでいないもんだから難しかった。
でも後半、重い知的障がいを持つ娘との生活を送ってきた著者の経験から感じたことが書かれていて、泣きながら読んだ。
娘のケアを他の誰かに託す時の感情。きれいな、かわいい服を着せて、少しでも娘に価値があるように見せたがっている自分に気付いた時の気持ち。
みな、大切なのだ。大切にされないと大人になれない。
「わたしたちはみな誰かお母さんの子どもである」
著者は、ケアの提供者に「母」を用いながら、社会におけるケアのあり方、社会的協働のあり方などを提示している。ケアを受ける人は、ケアを与えてくれた人に直接それを返すことができない。常に一方通行。だからケアを与えてくれた人を他の誰かがケアするという、ケアの循環が理想なのだ。
社会的な構造で循環を作ることが望ましいし、政治に働きかけたり、そういったこともしていきたいが、日本社会がますます貧しくなるであろう今後、なかなか厳しいのだろうなとも思う。
まだぐるぐる考えているけれど
応えなんてでるわけではない。
でも自分が背負えるうちは、できる範囲で背負ってみよう。できることをしていこうと思う。